black chocolate 〜中編〜

 瞼を伏せた瞬間、ユーリの影がわたしを覆った。何が起きたのかわからず、瞬きを繰り返す。刹那、チョコレートのほろ苦い味が、口の中に広がった。
「美味いだろ?」
 ユーリの顔には、いつもの意地悪そうな笑みが浮かんでいる。わたしの顔はきっと、ルビーみたいに紅くなっているだろう。
「ユ、ユーリは嘘つきです。苦かったですよ?」
「そうか? 美味しいけどな」
「もう」
 ユーリが椅子に座るよう促す。わたしはテーブルの前に置かれた椅子に腰かけた。ここへ通っているうちにいつの間にか増えてしまった、カラフルな椅子だ。落ち着いた配色の家具が並ぶ部屋の中で、とても目立つ存在。ユーリは優しいから、わたしが座るための椅子を買ってくれたのだろう。

「待っとけ、今、茶入れるから」
「はい、ありがとうございます」
 椅子にはふわふわしたクッションが敷かれている。ここに座るだけで、温かい気持ちになった。紅茶の香りが部屋に満ちてくる。
「はいよ」
「いただきます」
 ティーカップも、わたし用のものは色が違う。ユーリは灰色の湯呑茶碗を使っているけれど、わたしのは紅茶用のもので、金色の縁取りがある。いつもの紅茶の味で、緊張がゆっくりと解けて行った。

「そういやこれ、お世話になった男にあげるものなんだろ?」
「はい」
「じゃあカロルとかレイヴンにもあげんの?」
「今年は都合がつきそうにないので、送りました」
「ふーん。フレンには?」
「フレンやヨーデルにも渡しましたよ」
「ふーん」
 なんとなくユーリの表情が曇ったような気がして、わたしは首を傾げた。
「どうしたんです?」
「いや、なんでもねーよ。お返しは何倍だっけ?」
「お返しはいりません……って、やっぱりバレンタインのこと覚えてたんじゃないですか、ユーリ」
「ん? ああ、カロルが『どうしてもバレンタインデーは休みたい』って言ってたのを思い出したんだよ」
「本当です?」
「つまり、お世話になったお礼ってことなら、これは義理チョコだよな」
「え?」
 寂しそうな表情を浮かべている、ユーリ。

「ち、違います、本命です」
 わたしは勇気を振り絞って呟いてみる。
「ん? 聞こえねーな」
「だから、本命です!」
「本当か?」
 手にしていた湯呑茶碗を置くと、ユーリはわたしの目の前に近づいた。
「本当です」
「そっか。じゃあ、お返ししないとな」
 ユーリの顔がすぐそばにある。自分の心臓の音がうるさくて、わたしは思わず目を閉じた。

「ユーリ、いるかい?」
 と、ドアをノックする音が三回響いた。
「この声は……」
「お邪魔するよ」
 開け放たれたドアから顔を出したのは、フレンだった。
「エステリーゼ様。ここにいらっしゃったんですか」
「は、はい。こんにちは、フレン」
「こんにちは」
 まだ高鳴っていた胸の音が聞こえないように、紅茶を飲み直す。ユーリは三回のノック音の間に、窓際まで移動したようだ。
「どうしたんだ、騎士団長さん」
「いや、今度催される騎士団とギルドの集会のことでね。これが資料だ」
「へいへい。こういうのは首領に言ってくれって言わなかったか?」
「それが肝心のカロルが見当たらなくてね。聞けば休暇らしいじゃないか」
「そうだった」
 ユーリが目を細めながら言う。
「確認、頼むよ」
「わーったわーった」
 唇を尖らせながら、ユーリは手のひらをふらふらと振っている。

「そうだ、エステリーゼ様」
「はい」
「今日届いたお菓子、ありがたく頂きます」
「はい、こちらこそありがとうございます。いつものお礼です」
「お礼も何も、私は騎士団長としての務めを果たしているだけですから」
「でも、せっかくのバレンタインですから」
「バレンタイン?」
 フレンは眉間にしわを寄せながら、右手を顎の先に添えた。
「女性がお世話になった男性にチョコレートを渡す日、だってさ」
 わたしの説明をなぞりながら、ユーリが説明する。
「そうなんですか、そんな日があるんですね。すみません、そういうのには疎くて」
「いいえ、いいんです」
「ありがとうございます、エステリーゼ様」
「はい」
 素直に頭を下げるフレンが、何故か新鮮に思えた。
「それじゃあ、失礼するよ」
「へいへい」




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